面白すぎる日記たち ― 2008/03/12 22:30
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4166600427.html
鴨下信一 面白すぎる日記たち―逆説的日本語読本 文藝春秋 1999年 を読んだ。現在はブログばやりで、物書きの素人でも簡単に日常の日記を公開できるようになっている。毎日ものすごい数の記事が公開されている。一応、本ブログもその末席を汚しているわけだ。この本では独自の分類に基づいて様々な日記のさわりを引用しながら日本語のすぐれた表現をも考察している。いろんなブログを見て思うのだが日本人は特に日記が好きな人種である。昔はノートや日記帳に自筆で書いていたものが、今はパソコンのキーボードを打ちこむことが多い。
この本を手に取ったのは、そもそも日記はどうして書かれるのか。どういったときに書きたいと思うのか。日記の書き方に一定のルールや法則があるものなのか、関心を持ったからだ。日記はその日その日に見たこと感じたことを何の脈絡なく書き連ねることが許されるので、書き手の心情が生の言葉で語られていることが多い。日記を推敲してしまうと私小説のような作品になる。それぞれの時代、それぞれの個人が置かれた厳しい状況のもとで書かれた日記には胸を打たれるものがある。
震災日記、獄中日記、病中日記、A級戦犯の日記、終戦間近の日記、ヒロシマ日記など、いわゆる非日常に置かれた自分のココロの内を昇華させる役割を担っていたと思われる。個人の日記が公刊されるのは現在の我々にとってもそれなりの価値があるからなのだろう。その時々の書き手の吐露は確かに面白い。本ブログは厳密には日記とはいえないけれど、まだまだ力不足を感じている。
鴨下信一 面白すぎる日記たち―逆説的日本語読本 文藝春秋 1999年 を読んだ。現在はブログばやりで、物書きの素人でも簡単に日常の日記を公開できるようになっている。毎日ものすごい数の記事が公開されている。一応、本ブログもその末席を汚しているわけだ。この本では独自の分類に基づいて様々な日記のさわりを引用しながら日本語のすぐれた表現をも考察している。いろんなブログを見て思うのだが日本人は特に日記が好きな人種である。昔はノートや日記帳に自筆で書いていたものが、今はパソコンのキーボードを打ちこむことが多い。
この本を手に取ったのは、そもそも日記はどうして書かれるのか。どういったときに書きたいと思うのか。日記の書き方に一定のルールや法則があるものなのか、関心を持ったからだ。日記はその日その日に見たこと感じたことを何の脈絡なく書き連ねることが許されるので、書き手の心情が生の言葉で語られていることが多い。日記を推敲してしまうと私小説のような作品になる。それぞれの時代、それぞれの個人が置かれた厳しい状況のもとで書かれた日記には胸を打たれるものがある。
震災日記、獄中日記、病中日記、A級戦犯の日記、終戦間近の日記、ヒロシマ日記など、いわゆる非日常に置かれた自分のココロの内を昇華させる役割を担っていたと思われる。個人の日記が公刊されるのは現在の我々にとってもそれなりの価値があるからなのだろう。その時々の書き手の吐露は確かに面白い。本ブログは厳密には日記とはいえないけれど、まだまだ力不足を感じている。
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