将棋A級順位戦8回戦 ― 2008/02/02 01:27
今日というかもう昨日になるがA級順位戦8回戦が一斉対局で行われた。順位戦は持ち時間6時間で双方が時間を使い切ると終局は夜中の12時を過ぎてしまう。と、こう頭では分かっていても実際に朝の10時から夜中まで将棋を指すというのはアマチュアには想像のできない世界である。以前将棋世界の企画でアマ4名と元タイトルホルダーとの擬似順位戦の対局が行われたがすべてプロが勝っている。アマが参加可能な公式戦で最も持ち時間が長いのは竜王戦の5時間だが、それに1時間足されるとまったく住む世界も変わってくる。
対局は先ごろすべて終了した。名人戦中継は有料中継なのでちょこっと某掲示板を覗いてみると、木村×-羽生○、丸山○-郷田×、行方×-藤井○、谷川○-三浦×、久保×-佐藤○と結果が出ていた。これで1敗の羽生が単独トップ、それを2敗の三浦が追う。プレーオフにはならずに好調の羽生がすんなり挑戦を決めそうな勢いである。降級のほうは1人は行方が決定。行方も力はあるはずだが家賃が高かったのか。もう一人はともに2勝の佐藤、久保に絞られた。佐藤は順位の関係で自力である。久保は今日の直接対決を落としたのが激痛といえる。
久保は王将戦も2連敗と調子が出ないし、最終局は佐藤が勝って残留しそうな流れになってきた。とはいえ順当にいかないのが順位戦のドラマである。最終局は3月3日。誰が笑い、誰が泣くのか、楽しみである。
対局は先ごろすべて終了した。名人戦中継は有料中継なのでちょこっと某掲示板を覗いてみると、木村×-羽生○、丸山○-郷田×、行方×-藤井○、谷川○-三浦×、久保×-佐藤○と結果が出ていた。これで1敗の羽生が単独トップ、それを2敗の三浦が追う。プレーオフにはならずに好調の羽生がすんなり挑戦を決めそうな勢いである。降級のほうは1人は行方が決定。行方も力はあるはずだが家賃が高かったのか。もう一人はともに2勝の佐藤、久保に絞られた。佐藤は順位の関係で自力である。久保は今日の直接対決を落としたのが激痛といえる。
久保は王将戦も2連敗と調子が出ないし、最終局は佐藤が勝って残留しそうな流れになってきた。とはいえ順当にいかないのが順位戦のドラマである。最終局は3月3日。誰が笑い、誰が泣くのか、楽しみである。
ノストラダムスの出生証明書 ― 2008/02/02 23:13
ちょっと前に紹介した仏語の新刊書『キ・スィ・ジュ?ノストラダムス』の一番最後の部分に、ノストラダムスの生年月日に異議を唱えているパトリス・ギナールの説が紹介されている。これまでの伝記で1503年12月14日とされているのが実は12月21日であるという。誕生日がたかだか1週間違ったとしてもそんなにたいした問題ではない。しかし、こういった疑問が生じるというのはノストラダムスの出生がきちんと確認できないことによる。ミシェル・トゥシャールの『時の旅人ノストラダムス』41頁には、出生証明書が息子セザールの著作に記録されていると書いてある。(トゥシャールの原書も確認したがそう書いてあった)コーパス・ノストラダムス10でセザールの著作の該当部分の画像を見ることができる。
確かに余白の部分に出生証明書と思しきテクストが載っている。出生証明書があるのなら間違いないだろう。と思いきやイアン・ウィルソンの本13頁の注釈に「残っている教区の記録がない」とある。以前国会図書館でパリの国立図書館の手稿カタログ(Bibliotheque Nationale Catalogue General des Manuscrits Francais, Paris, 1939)のノストラダムスの項を調べたことがある。すると色々な手稿に交じってn.a.4003というのを見つけた。これこそ出生証明書ではないかと思っていたが、これに言及している研究者を知らない。手稿のなかにはオルス・アポロや六行詩集、遺言書など整理番号が確認できるものがある。
ミシェル・ショマラは『ノストラダムスのリヨンのビブリオグラフィ』(1973)のなかで、現存しているノストラダムス一族の手稿をリストアップしている。パリ国立図書館の整理番号が載っているものは対比可能であるが、何故か出生証明書についてはリストから漏れている。実際に出生証明書のコピーが残っているのか。どなたかこの事情に詳しい方がいたら御教授願いたい。
確かに余白の部分に出生証明書と思しきテクストが載っている。出生証明書があるのなら間違いないだろう。と思いきやイアン・ウィルソンの本13頁の注釈に「残っている教区の記録がない」とある。以前国会図書館でパリの国立図書館の手稿カタログ(Bibliotheque Nationale Catalogue General des Manuscrits Francais, Paris, 1939)のノストラダムスの項を調べたことがある。すると色々な手稿に交じってn.a.4003というのを見つけた。これこそ出生証明書ではないかと思っていたが、これに言及している研究者を知らない。手稿のなかにはオルス・アポロや六行詩集、遺言書など整理番号が確認できるものがある。
ミシェル・ショマラは『ノストラダムスのリヨンのビブリオグラフィ』(1973)のなかで、現存しているノストラダムス一族の手稿をリストアップしている。パリ国立図書館の整理番号が載っているものは対比可能であるが、何故か出生証明書についてはリストから漏れている。実際に出生証明書のコピーが残っているのか。どなたかこの事情に詳しい方がいたら御教授願いたい。
ロートレック展を見に行った ― 2008/02/03 22:43

http://www.suntory.co.jp/sma/exhibition/08vol01lautrec/index.html
今日は朝から雪が降っていた。出掛けるにはどうかとも思ったが、電車も動いていたし思い切って六本木まで足を延ばしてみた。六本木駅から外に出ることなく歩いていくと、サントリー美術館がある東京ミッドタウンに辿り着く。ロートレックといえば、以前に旅行した時トゥールーズ・ロートレック美術館を訪れたことがある。そのときは観光名所くらいとしか見ていなかったのでさほど印象に残っていない。今回はもちろん日本語の解説があるので十分堪能することができた。ロートレックの生きた時代は19世紀末、フランスのベル・エポック(旧き良き時代)に相当する。
随分昔のことのように思えるが、実は今から遡ること、100年ちょっとでしかない。ロートレックが描いた作品のモデルの写真が残っていたり、当時の演劇やサーカスなどの娯楽施設、街並の映像が写しだされていた。ロートレックが描いたもの、それは大衆文化である。パリ郊外のモンマルトルに身を置いてそこに住む人を独特のタッチで描き出した。今でいうところの新宿歌舞伎町の風俗業界といったところか。さらにイベントのポスター製作や本の挿絵なども手がけた。随分と精力的に作品に取り組んだのだろう。ロートレックはわずか36年の生涯であったが、密度の濃い時間を過ごした。フランスが謳歌した良き時代の民衆の文化を知る貴重な手がかりを残してくれた。
美術館内は結構広くてすべての順路を歩き終えると心地よい疲労があった。出口のところにはお約束の土産物ショップが待っている。せっかく来たのだから記念にパズルと絵葉書を購入した。また機会があれば見てみたいと思う。
今日は朝から雪が降っていた。出掛けるにはどうかとも思ったが、電車も動いていたし思い切って六本木まで足を延ばしてみた。六本木駅から外に出ることなく歩いていくと、サントリー美術館がある東京ミッドタウンに辿り着く。ロートレックといえば、以前に旅行した時トゥールーズ・ロートレック美術館を訪れたことがある。そのときは観光名所くらいとしか見ていなかったのでさほど印象に残っていない。今回はもちろん日本語の解説があるので十分堪能することができた。ロートレックの生きた時代は19世紀末、フランスのベル・エポック(旧き良き時代)に相当する。
随分昔のことのように思えるが、実は今から遡ること、100年ちょっとでしかない。ロートレックが描いた作品のモデルの写真が残っていたり、当時の演劇やサーカスなどの娯楽施設、街並の映像が写しだされていた。ロートレックが描いたもの、それは大衆文化である。パリ郊外のモンマルトルに身を置いてそこに住む人を独特のタッチで描き出した。今でいうところの新宿歌舞伎町の風俗業界といったところか。さらにイベントのポスター製作や本の挿絵なども手がけた。随分と精力的に作品に取り組んだのだろう。ロートレックはわずか36年の生涯であったが、密度の濃い時間を過ごした。フランスが謳歌した良き時代の民衆の文化を知る貴重な手がかりを残してくれた。
美術館内は結構広くてすべての順路を歩き終えると心地よい疲労があった。出口のところにはお約束の土産物ショップが待っている。せっかく来たのだから記念にパズルと絵葉書を購入した。また機会があれば見てみたいと思う。
将棋世界3月号を読んで ― 2008/02/04 23:59
http://www.rakuten.co.jp/shogi/372953/403400/1866197/
最近の将棋世界は読み物が充実している。棋士の一番の自己表現は自分が指した将棋の棋譜なのだろうが、解説なしで鑑賞できる将棋ファンはそれほど多くない。珠玉の棋譜にも味付けが必要なのである。今月号の「プレイバック2007」は昨年もやっていたが非常にいい企画である。一般のアマチュアはプロ棋戦のほんのごく一部の将棋しか見ることができない。自分の場合ネット中継のあるタイトル戦などは印象に残っているが、その他はせいぜい週刊将棋の部分図しか見ない。そういったことからも現役プロが選んだトップ10というのは将棋の内容が濃く、さらにはその対局の背景に大きな意味のあるものが厳選されている。
栄えあるベスト1に選ばれたのは王位戦第七局。この将棋はネット中継を見ながら終盤の▲7七桂、幻の△7六桂が見えて大いに興奮した。誰が見ても文句なしのベストバウトであろう。もう一つ羽生の千勝通過の記事も今までにない掘り下げが行われていて面白かった。今の羽生を見ても、タイトルは減ったとはいえ七冠時代と比べて衰えているとは到底思えない。それだけの凄味がある。では羽生のどこに強さがあるのか。「進化する羽生将棋」では羽生ゾーンという話が出てくる。なるほど羽生が2三や2七の地点に金銀を置いた将棋の勝率がいいというのは、なんとなくわかる気がする。無筋の手を正確な読みの力で突き進めるところに羽生の強みがあるのだろう。
将棋世界の一番のコンテンツは勝っている棋士のインタビューである。羽生や渡辺のインタビューもうまく本音が引き出されている。将棋の単行本を精力的に出版している浅川氏の力量は本当に大したものと感じた。
最近の将棋世界は読み物が充実している。棋士の一番の自己表現は自分が指した将棋の棋譜なのだろうが、解説なしで鑑賞できる将棋ファンはそれほど多くない。珠玉の棋譜にも味付けが必要なのである。今月号の「プレイバック2007」は昨年もやっていたが非常にいい企画である。一般のアマチュアはプロ棋戦のほんのごく一部の将棋しか見ることができない。自分の場合ネット中継のあるタイトル戦などは印象に残っているが、その他はせいぜい週刊将棋の部分図しか見ない。そういったことからも現役プロが選んだトップ10というのは将棋の内容が濃く、さらにはその対局の背景に大きな意味のあるものが厳選されている。
栄えあるベスト1に選ばれたのは王位戦第七局。この将棋はネット中継を見ながら終盤の▲7七桂、幻の△7六桂が見えて大いに興奮した。誰が見ても文句なしのベストバウトであろう。もう一つ羽生の千勝通過の記事も今までにない掘り下げが行われていて面白かった。今の羽生を見ても、タイトルは減ったとはいえ七冠時代と比べて衰えているとは到底思えない。それだけの凄味がある。では羽生のどこに強さがあるのか。「進化する羽生将棋」では羽生ゾーンという話が出てくる。なるほど羽生が2三や2七の地点に金銀を置いた将棋の勝率がいいというのは、なんとなくわかる気がする。無筋の手を正確な読みの力で突き進めるところに羽生の強みがあるのだろう。
将棋世界の一番のコンテンツは勝っている棋士のインタビューである。羽生や渡辺のインタビューもうまく本音が引き出されている。将棋の単行本を精力的に出版している浅川氏の力量は本当に大したものと感じた。
ノストラダムスの墓碑銘 ― 2008/02/05 22:25

ノストラダムスが埋葬された墓には墓碑銘が刻まれている。ノストラダムスの伝記を読むと、どれも最後のところで碑文が引用されている。日本で墓碑銘が初めて紹介されたのは『ノストラダムスの遺言書』(1983)である。二見書房のスタッフが現地取材した貴重な写真が盛り込まれている。ノストラダムスが決して伝説の人物ではなく、実際に16世紀の南フランスに生きたという証を実感できる画期的な情報であった。その後入手したエドガー・レオニの本(初版1961年)にも墓碑銘の写真が載っているが、現在の様相とは異なる。同じ景観の写真は、1940年のシャルル・レノー-プランセの本24-25頁や1976年のエットレ・ケイネの本37頁(画像参照)にも載っている。ではいつ頃現在見る墓碑銘の形になったのだろうか。
前述の『遺言書』を含めた1980年代に紹介された本に見る墓の写真も現在と同じである。恐らく墓は1960年代初頭に改装されたと考えられる。海外にも墓碑銘の写真を載せた本がある。1964年のカミーユ・ルーヴィエや1984年のクリスチャン・クルトの著作を見ると、墓碑銘自体は現在の姿であるが、その左手にノストラダムスの肖像画、右手に息子セザールの肖像画が掲げられている。また墓碑銘の下の中央には長方形のプレートがあり、ノートルダムと読める。1973年当時サロン・ド・プロヴァンスを旅行した津田正夫氏の『私の南フランス案内』の32頁にも同じ写真が載っている。しかし、セザールの書いたノストラダムスの肖像画が誰かの手で盗み出され、セザールの自画像も取り去られてしまった、という当時の貴重な証言がある。
エリカ・チータムの本(1973年)12頁に、「サン・ローラン教会で墓と肖像を見ることができる」と書いてあるから、1970年初めにはまだ肖像画が残っていたようである。墓碑銘のテクストは多くの解説書で引用されている。しかし、墓の変遷について記した本はこれまでなかったのではないか。
前述の『遺言書』を含めた1980年代に紹介された本に見る墓の写真も現在と同じである。恐らく墓は1960年代初頭に改装されたと考えられる。海外にも墓碑銘の写真を載せた本がある。1964年のカミーユ・ルーヴィエや1984年のクリスチャン・クルトの著作を見ると、墓碑銘自体は現在の姿であるが、その左手にノストラダムスの肖像画、右手に息子セザールの肖像画が掲げられている。また墓碑銘の下の中央には長方形のプレートがあり、ノートルダムと読める。1973年当時サロン・ド・プロヴァンスを旅行した津田正夫氏の『私の南フランス案内』の32頁にも同じ写真が載っている。しかし、セザールの書いたノストラダムスの肖像画が誰かの手で盗み出され、セザールの自画像も取り去られてしまった、という当時の貴重な証言がある。
エリカ・チータムの本(1973年)12頁に、「サン・ローラン教会で墓と肖像を見ることができる」と書いてあるから、1970年初めにはまだ肖像画が残っていたようである。墓碑銘のテクストは多くの解説書で引用されている。しかし、墓の変遷について記した本はこれまでなかったのではないか。
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