棋王戦第二局は森内が勝って1勝1敗のタイに ― 2007/02/25 18:36
http://www.hokkoku.co.jp/syougi/
昨日棋王戦第二局が行われ先手の森内棋王が佐藤棋聖に勝って対戦成績をタイに戻した。ありがたいことにネット中継もあったのだが、何せ解説がないので形勢がどんな状態かは自分で推理するしかない。土曜日の対局なので本日配達された週刊将棋にも記事は載っていない。棋譜を再現してみると、後手の佐藤が序盤から9筋の位を取り角道を開けたまま四間飛車に振った。こんな展開はあまり見たことがない。先手の角交換から▲6五角と打ち△8二飛と打たせたところでは先手が一本取ったといえる。そこから再度四間飛車に振り直したのは驚いた。これは序盤についた端の歩を生かすために玉を右側に囲いたかったのだろう。
後手番は金銀分裂形でどうまとめるのかと見ていたが、結局75手目の▲6三角成から飛車を成り込んで勝負あった。後は一方的に殴られるだけで粘りきれず大差での終局となった。こうして見ると佐藤の意欲的な作戦は完全に裏目に出てしまった感じ。次の佐藤の先手番は非常に大きい。棋王を奪取するためには絶対に落とせないところ。森内は4月から郷田九段との名人戦も始まるが、棋聖戦最終予選で西尾四段に敗れるなど調子のほうはいま一つと見る。棋王戦をズルズルと敗れてしまうと一気に無冠になる可能性も出てくる。トップの座を維持するためにはここが勝負どころなのだ。
昨日棋王戦第二局が行われ先手の森内棋王が佐藤棋聖に勝って対戦成績をタイに戻した。ありがたいことにネット中継もあったのだが、何せ解説がないので形勢がどんな状態かは自分で推理するしかない。土曜日の対局なので本日配達された週刊将棋にも記事は載っていない。棋譜を再現してみると、後手の佐藤が序盤から9筋の位を取り角道を開けたまま四間飛車に振った。こんな展開はあまり見たことがない。先手の角交換から▲6五角と打ち△8二飛と打たせたところでは先手が一本取ったといえる。そこから再度四間飛車に振り直したのは驚いた。これは序盤についた端の歩を生かすために玉を右側に囲いたかったのだろう。
後手番は金銀分裂形でどうまとめるのかと見ていたが、結局75手目の▲6三角成から飛車を成り込んで勝負あった。後は一方的に殴られるだけで粘りきれず大差での終局となった。こうして見ると佐藤の意欲的な作戦は完全に裏目に出てしまった感じ。次の佐藤の先手番は非常に大きい。棋王を奪取するためには絶対に落とせないところ。森内は4月から郷田九段との名人戦も始まるが、棋聖戦最終予選で西尾四段に敗れるなど調子のほうはいま一つと見る。棋王戦をズルズルと敗れてしまうと一気に無冠になる可能性も出てくる。トップの座を維持するためにはここが勝負どころなのだ。
ノストラダムス予言集第4巻88番、グラン・アントワーヌ ― 2007/02/25 22:29

http://cura.free.fr/dico8art/702Apest.html
ギナールの「コーパス・ノストラダムス48」は今までとちょっと毛並みの違う記事「グラン=サン=タントワーヌと1720年マルセイユのペストの蔓延」がアップされている。要は百詩篇第4巻88番の四行詩の詳細な注釈で、冒頭にサロンの予言者の幻視する才能の証拠になりうるとの説明がある。本当にノストラダムスに未来を予見する能力が備わっていたのか、研究者のなかにも未だにこうしたロマンを追い求めている人がいるのだ。ギナールの主張するところでは、この四行詩が1720年のマルセイユのペスト発生の顛末に一致している。1720年の事件は啓蒙の世紀における衝撃的な事件であったようで、モニク・リュスネ著『ペストのフランス史』の161頁以下に詳細な報告が見られる。
マルセイユのペスト禍は大型船「グラン=サン=タントワーヌ」号によってもたらされた。この船はボケールの市に出される綿や羊毛、絹などの織物を積み荷として運んでいたが、ある嵐により船のマストが倒れてしまった。船長は費用を抑えるためにペスト患者の出た船の帆を使って修理した。これが悲劇の始まり。船内で死者が出たのにもかかわらずマルセイユの検疫所を通過してしまった。そして夜に美しい織物が盗まれ、マルセイユに恐るべき天災が戻ってきた。つまり富裕な商人が隠忍自重をかえりみず利益を優先させた結果招いてしまったものだ。さて当該の四行詩は果たしてこの事件に結びつくのだろうか。まずは四行詩の拙訳を一読されたい。
一番の注目はグラン・アントワーヌでキーワードは汚れた、或いは不衛生、そしてシラミは疫病を媒介することもある。1、2行目はバイアスをかければ親和性があるといっていいだろう。3行目の鉛は富または利益と読み直し、4行目の選ばれた港町は天災を受けるマルセイユへの到着を指すと受け取れる。こうして見ると確かに不思議な符合を感じる。もともとサン・アントワーヌの名前はジロンドで10世紀から15世紀にヨーロッパに蔓延った恐ろしい病気と結びついていた。レオニは16世紀当時の支配者にピタリと当てはまる予言と注釈している。アントワーヌとはアンリ四世の父、ブールボン家のヴァンドーム公のこと。
ラメジャラーは1530年のアントワーヌ・デュプラがフランソワ1世の身代金を横領した事件を挙げている。デュプラはシラミで1535年に死去したという。こうした四行詩の読みは、まさしくだまし絵のようなものである。予言--それを必死に読み取ろうとする人間の心に過去、現在、未来を映し出す鏡といえるのではないだろうか。
ギナールの「コーパス・ノストラダムス48」は今までとちょっと毛並みの違う記事「グラン=サン=タントワーヌと1720年マルセイユのペストの蔓延」がアップされている。要は百詩篇第4巻88番の四行詩の詳細な注釈で、冒頭にサロンの予言者の幻視する才能の証拠になりうるとの説明がある。本当にノストラダムスに未来を予見する能力が備わっていたのか、研究者のなかにも未だにこうしたロマンを追い求めている人がいるのだ。ギナールの主張するところでは、この四行詩が1720年のマルセイユのペスト発生の顛末に一致している。1720年の事件は啓蒙の世紀における衝撃的な事件であったようで、モニク・リュスネ著『ペストのフランス史』の161頁以下に詳細な報告が見られる。
マルセイユのペスト禍は大型船「グラン=サン=タントワーヌ」号によってもたらされた。この船はボケールの市に出される綿や羊毛、絹などの織物を積み荷として運んでいたが、ある嵐により船のマストが倒れてしまった。船長は費用を抑えるためにペスト患者の出た船の帆を使って修理した。これが悲劇の始まり。船内で死者が出たのにもかかわらずマルセイユの検疫所を通過してしまった。そして夜に美しい織物が盗まれ、マルセイユに恐るべき天災が戻ってきた。つまり富裕な商人が隠忍自重をかえりみず利益を優先させた結果招いてしまったものだ。さて当該の四行詩は果たしてこの事件に結びつくのだろうか。まずは四行詩の拙訳を一読されたい。
一番の注目はグラン・アントワーヌでキーワードは汚れた、或いは不衛生、そしてシラミは疫病を媒介することもある。1、2行目はバイアスをかければ親和性があるといっていいだろう。3行目の鉛は富または利益と読み直し、4行目の選ばれた港町は天災を受けるマルセイユへの到着を指すと受け取れる。こうして見ると確かに不思議な符合を感じる。もともとサン・アントワーヌの名前はジロンドで10世紀から15世紀にヨーロッパに蔓延った恐ろしい病気と結びついていた。レオニは16世紀当時の支配者にピタリと当てはまる予言と注釈している。アントワーヌとはアンリ四世の父、ブールボン家のヴァンドーム公のこと。
ラメジャラーは1530年のアントワーヌ・デュプラがフランソワ1世の身代金を横領した事件を挙げている。デュプラはシラミで1535年に死去したという。こうした四行詩の読みは、まさしくだまし絵のようなものである。予言--それを必死に読み取ろうとする人間の心に過去、現在、未来を映し出す鏡といえるのではないだろうか。
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