ジャン・モレルへの書簡(1561年) ― 2007/01/14 21:39

「コーパス・ノストラダムス43」がアップされている。テーマは「1555年夏の宮廷への旅行とモレルの書簡(1561)」である。
http://cura.free.fr/dico3/701Acour.html
ノストラダムスがパリのモレルに書いた書簡はすでにエドガー・レオニの著作の付録に収録されており、伝記情報を裏付ける資料としてよく知られている。モレルとはいかなる人物であったか?1555年夏ノストラダムスは国王アンリ二世からの召喚によりパリに赴いたが、その旅費と滞在費用が思った以上にかかってしまった。そのためサン・ミシェル旅館で宿代が払えなくなりパリにいたモレルにローズノーブル金貨2枚とクラウン金貨2枚を借りざるを得なかった。
ところがノストラダムスはこの借金をずっと返さなかった。そのためモレルはノストラダムスに返済の催促をしたらしい。この書簡はその催促に対するノストラダムスの返信である。ギナールはまずパリに召喚された年代について考察している。古い伝記ではそれが1556年とされていたがこれはシャヴィニィの伝記(1594年)の誤りによる。どうもシャヴィニィはセザールの情報を鵜呑みにして記したふしがある。1614年のセザールの伝記には53歳のときとあり1503+53=1556年と読める表現がある。
現在では、フィレンツェ人ガブリエル・シメオニの手紙やリヨンの商人ジャン・ゲローの年代記に基づいてパリを訪問したのが1555年とされている。モレルへの手紙はその手稿がパリの国立図書館ラテン文庫ms8589に保管されている。ラテンといっても現物はフランス語で書かれたもの。レオニ以前では1920年ユージュン・パーカーが博士論文の付録にテクストを収録しているし1983年のジャン・ジュペーブの未刊書簡集にも紹介されている。今回ギナールが取り上げたテクストは1853年の「フランス歴史協会」の会報117-120頁に掲載されたものだ。
僅かなヴァリアントはあるらしいがテクスト自体は確立されたものなので興味のあるかたは読んでみてほしい。
http://cura.free.fr/dico3/701Acour.html
ノストラダムスがパリのモレルに書いた書簡はすでにエドガー・レオニの著作の付録に収録されており、伝記情報を裏付ける資料としてよく知られている。モレルとはいかなる人物であったか?1555年夏ノストラダムスは国王アンリ二世からの召喚によりパリに赴いたが、その旅費と滞在費用が思った以上にかかってしまった。そのためサン・ミシェル旅館で宿代が払えなくなりパリにいたモレルにローズノーブル金貨2枚とクラウン金貨2枚を借りざるを得なかった。
ところがノストラダムスはこの借金をずっと返さなかった。そのためモレルはノストラダムスに返済の催促をしたらしい。この書簡はその催促に対するノストラダムスの返信である。ギナールはまずパリに召喚された年代について考察している。古い伝記ではそれが1556年とされていたがこれはシャヴィニィの伝記(1594年)の誤りによる。どうもシャヴィニィはセザールの情報を鵜呑みにして記したふしがある。1614年のセザールの伝記には53歳のときとあり1503+53=1556年と読める表現がある。
現在では、フィレンツェ人ガブリエル・シメオニの手紙やリヨンの商人ジャン・ゲローの年代記に基づいてパリを訪問したのが1555年とされている。モレルへの手紙はその手稿がパリの国立図書館ラテン文庫ms8589に保管されている。ラテンといっても現物はフランス語で書かれたもの。レオニ以前では1920年ユージュン・パーカーが博士論文の付録にテクストを収録しているし1983年のジャン・ジュペーブの未刊書簡集にも紹介されている。今回ギナールが取り上げたテクストは1853年の「フランス歴史協会」の会報117-120頁に掲載されたものだ。
僅かなヴァリアントはあるらしいがテクスト自体は確立されたものなので興味のあるかたは読んでみてほしい。
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