1555年版ノストラダムス予言集 アルビ標本とウィーン標本 ― 2026/09/25 17:26

1555年版ノストラダムス予言集には現在3点の標本の現存が知られている。公共図書館で公開されているのはアルビ標本とウィーン標本。ウィーン標本がアルビ標本の誤植を修正した訂正再版であることは研究者の間でまったく異論がない。ただし、そこにノストラダムスの意思が反映されているというのを証明するのは難しい。そもそも当時の印刷業界では著者自身が校正するという慣習がなかった。博士論文のなかで疑問なのが、II-25のgarde (歩哨)とgarce (若い女)の違いが訂正されたものと断じているところだ。ギヨーム・トナズによるウィーン標本と、1557年ユトレヒト標本および1568年ドレスデン標本(Nr.97)のテキスト比較リストを見てもgardeになっており、植字工による誤植の可能性と見るのが自然であろう。博士論文112頁で改訂版が1557年版で先祖返りしたという論旨をラブレーやフロベールから引き出しているが、それをノストラダムスに適用するのはいささか過ぎている。パトリス・ギナールがいうように、ウィーン標本はアルビ標本の印刷からそんなに日を置かずに組版し直されて印刷されたと見るのが妥当である。ギヨーム・トナズの解説のように、いくつかの単語がスペースなしで併記されたり、スペルミスが修正されたりしているが、本文に重要な修正は見当たらない。つまりこれらの急ごしらえのささいな修正は植字工の判断で行ったとしか思えない。

博士論文110頁では、19世紀のルイ・ジモンを引用して「前章(89頁)で見た暦書を巡る訴訟のように、自著の正確な印刷に拘っていたことが分かる」というが本当だろうか。もともとの話は、未刊行書簡IIでジャン・ブロトーのいうような、1554年に送られた二本立ての暦書の原稿があまりにも冗長なので短く編集したいといったことへの反撥ではないか。当時ノストラダムスの予言ビジネスは二本立て、三本立てで刊行するほど、かなりの産業になりつつあった。植字の細かい誤植に拘っていたとまでは読み切れない。ブランダムールの「第2巻まで刷本についてノストラダムスが取り急ぎ確認できた範囲のみを反映させた結果」を引用しているが、ウィーン標本にも誤りがある。(ちなみに博士論文の注釈13のXXIXXIIはXXI-XXIIの誤記)そもそも中途半端に第2巻までという論が現実味に乏しい。複数の植字工の作業によるバラツキの可能性が高いと見る。植字工だってできるだけ正確な校正を心がけているが人間のやることには当然ミスはつきもの。ちなみに当時は印刷が終わったら原稿を処分するのが一般的だった。誤りで一番顕著なのがサンチュリ第3巻のタイトルで、装飾的な木版画が頭から反転しており、NOSTRADAMUSの「R」の文字が欠けている。(画像参照)仮にノストラダムス本人が校正を厳密に行っていたとすればこんな目立ったミスは見逃すことはないだろう。よって「1555Aよりも1555Vの方がノストラダムスの意志を反映しているという推論」は積極的に支持できるものではない。

ウィーン標本の誤記