アンゴルモアの大王、ジャックリー説2008/02/08 23:56

ノストラダムスの有名な四行詩、百詩篇10巻72番1999年の詩にはアンゴルモアという語句が登場する。ウィキペディアには、わざわざ「アンゴルモア」という項目だけで記事が作成されている。素直にフランス語を読めばアングームワと同等の言葉であるとわかるのだが、日本では五島勉氏が、中世史上、強盗、放火、虐殺、輪姦その他の悪事のかぎりを尽して有名になったジャックリーの別名で、彼らの暴動を指揮したグラン・サタンが大王であると紹介した。この話の出所はヘンリー・ロバーツの本で、the great King of the Jacquerieという英訳を後知恵したものだ。これを読んで裏付けを取りたいと思い、随分とフランス語の辞書を調査したが古い仏仏辞典にも見つからなかった。

第一次ブーム時にはロバーツの本を読んだ研究家がジャックリー説を取り入れて訳している。占い研究家の浅野八郎氏は『オカルト秘法』(1974)で「偉大なるジャッカルの王がはびこり」と訳し、これが一般書である『世界の奇書101冊』(1978)にも取り込まれた。『地球内部からの円盤』(1975)にも「ジャッケリの偉大な大王をふたたび育てるために」と訳されている。その後雑誌『ムー』No.15(1982)の「世界の大予言ライブラリー」、予言のキーワードでは五島氏の説をアレンジして載せている。そこにはスチュワート・ロブもこの説を支持したかのようにあるが誤りである。ロバーツが参照したであろうボスウェル(1941)、ロブ(1942)、ラモン(1944)もアングレームの大王としか英訳していない。

ロバーツがガランシェール(1672)の英訳を参照してジャックリーなる単語を持ち出したのではないかと考えたこともあったが、そんな事実もなかった。五島氏が参照した、アンドレ・モロワの『フランス史(上)』119頁を見ても、グラン・サタンのことなど書いていない。ジャックリーとは1358年に起こった百姓一揆のことで、戦争のためあまりに貧困化して、武装した徒党が田園の中に『恐怖』を引き起こしていた。結局鎮圧されて二万人の農民が殺された。この舞台になったのはボーヴェ周辺でアングレーム地方とは距離がある。いったい何故ロバーツがアンゴルモアをジャックリーと英訳してしまったのか今でも謎は残っている。

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